空薬莢

創作と世界観

キノの旅の「あのフレーズ」についての解釈

キノの旅』の有名なあの文句、「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい」というフレーズの意味を、私はこう解釈していますー「世界にはあまりにも美しくない物が多いから離脱しようかと少し考えたが、それにしては、この世は去るには惜しいと思えるほどには美しい」。


こんにちは。世界から何度か離脱することを考えたことがあるきーのです。

私にとってこの世は幼少の頃から、漠然と不安でどこか生きづらいものでした。自分がアウトサイダーであることを幼いながらも漠然と、しかしながら信じていたのです。


成長して私は大人になりました(案外中身は子供のままです)。そして、幼少の頃の予感は的中していたことを自覚しております。日々信じる心持ちが強くなっております。


それでも、私とて一介の生物に過ぎません。どういうわけか、神は多様な生物が遺伝情報を残す様を興味深く眺めておられるようです。もしくはご自身の庭を放置なさっているのか、私には知る由もありませんが、とにかく、私にもそのようにプログラムされたものが備わっているようでして、すなわち、自身の個体情報を維持しようとするわけですね。何だかんだ生を持続させておるわけです。


そんな自分だから、あの文句がこのように解釈できてしまうのかもしれません。意味のなさを限定的に認め、一方で生に執着するくらいなら、いっそ肯定でもした方が潔いし効率的な気もしますね。まあしかし、解釈など所詮解釈に過ぎません。絶対的な解答ではないと思うております。ですからこれは私の視点から見た、私の価値観というレンズを通して見たものを描写しただけで御座います。しかし人間は何故、かくも他人の視座を、他人を、他者を面白がるのでしょうね。他者と触れ合うことなしに生をやることはできないのです。他人も他の動物も《他者》たるあらゆる表現物も、何かによるプロダクツです。ああ、他者による慰めを得ずに人生を終われないだなんて!


ちっぽけな米粒のような私には、神様が何をお考えかなどはちっとも解りません。まあ、そこに問いを立てることがそもそもの間違いであり、必要無いことなのかもしれません。そう、多くの人が言うようにー「現実の問題を考えるべき」なのかもしれません。その問題を差し置いても、その言葉はもっともなところです。


そんなつまらないことは考えるのをやめて、幸せになる方法でも考えた方がよっぽど《生産的》かもしれません。ああ、それにしても、情報を振り撒かずにはいられない。生物はどうしてかくもこのようにできているのでしょうね。


《理由はともあれ、世界はただ在り続ける》