空薬莢

創作と世界観

2019年の創作活動まとめー効力感、苦悩、そしてー

この記事は隔日でなんか描く(書く) Advent Calendar 2019 - Adventarの2日目の記事です。

 みなさんこんばんは、きーのです。もう1月も終わろうとしています。早すぎる。さて、本年初の記事です。

 

なんかここ数ヶ月くらい力尽き気味だったけどアドカレ全然更新できてないからそれがより明白となったね。アドカレは更新できるか分かりません。すみません。全然アドベントカレンダーじゃないし。ですがそれっぽいテーマで記事をいくつか書くのはあきらめずやりたいと思います。

 

そもそもなぜ更新できなかったかと言いますと、まあぼくがサボってたのもあるんですが、文章をまとめるより先に思考をまとめることができなかったんですね。12月1日に九州コミティア3があり参加する予定でしたが、結局参加できず(それは体調不良なのですが)、加えて漫画を描くのもしんどくて、あんなに漫画を描くのを楽しんでいたのにそんな自分とは思えないくらいに筆が進みませんでした。無理矢理進めても苦しくて、1日以降しばらく同人活動を控えめにして学業に専念しようと決めました。活動報告しなきゃしなきゃと思いつつも行動とかみ合っていなかったように思います。最近はやっと持ち直した感じがあり、同人活動のやり方を見直して長期的に、持続的にやっていこうと考えています。

 

さて、今日のお題です。

 

去年の創作活動まとめ

去年(2019)はコミティアになんと4回?いや厳密には3回?参加しました。

 

1回目 1/20 関西コミティア56@インテックス大阪、『オーダーメイド彼女』1巻プレビュー版コピー本頒布

2回目 5/12 コミティア128@東京ビッグサイト青海展示棟、1、2巻頒布

3回目 9/30 関西コミティア59@OMMビル(大阪)、3巻頒布

4回目? 12/1 九州コミティア3@西日本総合展示場北九州市)、4巻プレビュー版コピー本頒布

 

はい、こうして見るとなかなか短いスパンですね。しかもオフラインでの同人活動は今年が初ですからがんばった方でしょう。九州ティアが?になってるのは体調を崩したうえにメンタル面含めて諸々がわりときつかったため、会場へ足を運ぶのは見送る形になりました。(みやいさん緑石先輩のご協力により、頒布そのものはできました)

 

戦場に生きることに快感を見出してしまった上半期に比べて下半期はやや失速気味になってしまったなあ。

まあこのスパンでしたし、何よりペースがつかめてなかったのとか色々理由がありそう。

しかも毎回(一応は)新刊を頒布してるからそれがきつかったね。いや、楽しかったです。楽しかったけど特に九ティア前はなんか漫画に気が向かなくて注力できない状態が続きました。

 

こういうこと書くとなんだか不甲斐なく思われるかもしれないですが、でも私はけっこうやったと思うんですよ。その結果ちょっと燃え尽き気味になってしまいましたけど。

 

この記事は他の記事に比べて敢えて我を出して自然体で書いてるつもりです。もう、うまく言おうとかカッコよくまとめようとか思わない。いや、常にカッコよくいられたら理想ですけど、残念ながらそうじゃない。ぼく自身はドジなところもあるしネガティブなところもある、生身で未成熟な弱い人間です。印刷所さんに何回も修正食らってポータブルhdd水没させて半泣きになったりGit履修するとか言って結局完遂させてなかったりする。もちろん地道に修正してきた点もありますがまだまだ完璧どころか人並みにすらこなせないこともあります。(結局バックアップの件はペイントソフトにあるクラウド機能を使ってるので当分これでいくことになりそう)

 

でもだからこそ、他人から学ぶ機会があったり教えてもらったり助けてもらうことの有り難さを感じられるのだと思う。いや、思いたい。そして普段ゆるゆるなところがあっても、やるべきところではバシッと決められるようになりたい。

 

なんでこんなことを書いてるかというと、ある程度の適当さが必要だと思ったんです。自責より自分を褒める方がたぶん苦しくはない。その前に自分を受け入れる過程が必要で、そんな自分を開示しなければおそらくコミュニケーションをする上でどこか表面的な感じが拭えないだろうと。

 

創作をしてて例えば人に褒めてもらえると「もっと、もっと」と欲が出てきます。それは他人に対する欲もあるかもしれないけど、自分自身に対するハードルですね。これが上がる一方だとおそらくどこかで糸が切れてしまう。

 

とある方に教えていただきました、「創作はとにかく続けることだ」と。上手くなる、それは大事です、向上心がなければ改善は生まれぬ。人に承認を求める、コミュニケーションを加速させる、それも結構。でも、そういう過程において浮ついて消耗している自分を、いずれかのタイミングで落ち着かせてリフレッシュ(英気を養う)させたり、本来の目的を思い出させる必要があると思うんです。

 

たぶんそれができれば、長く創作を続けていける。「同人 しんどい」とか「疲れた」で検索すると、いくつもそういうすり減るような思いをした方の経験や心情が綴られたページがヒットします。それだけ大変なことだというのは、去年1年(正確にいうとその前段階として去年も地道に準備していたわけですが)活動しただけでも充分身にしみました。

 

でもまた、同人で創作したからこそ得られたつながりやコミュニケーションもありました。プロの作家さんでも滅多にもらえないという話もある(?)長文の感想を何件かいただいたり、そうでなくても大小様々な、しかし温かいリアクションをいただいたり、オフでフォロワーさんにお会いして本を買い求めていただけたり。

特に東京ティアに出た当日のうちにいただいた、温かい励ましと感動に満ちた長文メールは、辛い時に読んで山場を乗り越えるのを支えてくれました。また、事前に「行くよ」とか、「楽しみにしてる」といった連絡をもらった際もじゃあ読んでもらうために頑張ろうと思えたりしました。普段から濃い関わりを持っていた人に漫画を読んでもらうことも多く、私がどういう人間か知ってもらうことでよりコミュニケーションが活性化された気がします。

 

また、何よりイベントを前にしなければ半分エターナりかけていた1話2話をものにできなかったでしょう。うちの子が動いて、笑い泣き物語を紡ぐことのできる喜びは何物にも変えられないなと思うばかりです。新しい展開が思い浮かぶたび、愛着が湧いてうちの子が身近に感じられますし、幸せにしてあげたい、なってほしいという親のような?感情まで湧いてきます。

自分だけの物語を紡ぐ喜び、自分の中にある世界やものの見方、感じ方、好きなもの、大切にしているもの、怖かったこと悲しかったことなどの心の奥深くにあるものを他人と共有できるという体験はなかなかできるものではありません。そこにたどり着いてくれた人に感謝して、また筆を進める、そんな時間を今年も作っていきたく思います。

 

好きでやっていることでも、最低一つは、現実にはもっと、きついことや辛い事にも直面することになると思います。漫画を描き始めてからは、「世界は誰かの仕事でできてるんだなあ」という風にものの見方が変わり、すべての成果物に対してありがたみを感じるようになりました。合間でやるスマホゲーも個人で作ってる音楽も同人誌も商業漫画も映画もブログも広告も、みんな誰かのワークだったんですね。すごく当たり前のようにも思いますが、自分も創る側を体験することで明らかに感じ方の質が変わりました。おそらく作り手さんと話が合うのはこのあたりの感じ方によるものに違いない。個人的に幅広い意味でのモノづくりをする人にも勝手に共感を感じるようになってきたという変化がありました。

 

 

話は変わりますが、コミティアのページの「コミティアについて」にはこのような理念が掲げられています。

 

コミティアとはプロ・アマを問わないマンガ描きたちが自主出版した本を発表・販売する展示即売会です。
そこは、枠にはまらない自由で新鮮な個性を持つ作家が腕を試す自己表現の舞台であり、既製品に飽き足らない読者にとってまだ見ぬ、そして求めていたマンガを発見できる宝探しの山でもあります。
コミティアは、そうした一人一人の描き手と読み手がダイレクトに出会える「場」として開催されます。
そんな描き手と読み手の、あるいは描き手同士の作品を介して魂と魂が握手するような出会いが、新たな創作への刺激とエネルギーになることを信じています。

 

www.comitia.co.jp

初めてこの文章を読んだときには感動を覚えたものでした。理由はいくつかありますが、商業作品と同人漫画を類比させるということはしてはおらず、コミティアの運営方針を鑑みても、「どちらも」ーいや、「いずれの漫画も」コミティアは受け入れてくれるのです。(一時創作であれば)プロもアマも、漫画が初めての自分ですらー(それが向こう様ー読み手、他の参加者にはどう映るのかはまた別の話ですが、ともかく)受け入れてくれる土壌があるのです。これは本当にすごいことだなあと思いました。(漫画である必要すらなく、グッズや小説、画集、CD等様々な媒体がずらりと並んでいます)

 

そんな創作を愛する人のための祭典であるからこそ、その理念に共感した人々の手によってさらに地方コミティアが運営されているのではないかと感じます。

 

しかし一方で、ネット上を巡回していると「最近は同人漫画家も宣伝するんだな」「Twitterが息苦しい」「近年は同人の世界も商業主義化していると感じる」などの書き込みも見受けられました。

 

これらの変化がもしあったとして、それを良いと考えるか悪いと考えるかは分かれるところかもしれません。私自身はというと、正直仕方ないと考えていますが、一方でやはり宣伝というものは自分自身がしていても、見ていても(多いと)疲れを感じる部分もあります。そもそも、「自分の同人誌を買ってくれる人はどんな気持ちなのだろう?」「この先も見守ってくれる人がどれくらいいるのだろう?」「イベントに出て、売れなかったらどうしよう」などといった気持ちは常に渦巻いています。

 

コミティアへのサークル参加数は増加の傾向にあるようです。東京でも関西コミティアでも九州コミティアでも、抽選があったり、あるいは運営に携わる方が会場のスペースの使い方を見直したりしてなんとか多くのサークルが参加できるよう苦心されているようです。

同人界隈がますます盛り上がる中、しかしコミティアのアフターレポートやティアズマガジンを見てみると大半のサークルが一桁台の売り上げ冊数のようです。

有名サークルが平均値を押し上げてはいますが、中央値を参照すると偏りがあることが見て取れます。そんなヒエラルキーの上位を、あわよくばと目指す、それが同人作家たちの腹の底にある思いなのでしょうか。

 

私個人は「数ではない」とは思いつつも、やはり全く手にとってもらえなかったり、あるいはくださいとの意思表明をもらえないとしょんぼりはしてしまいます。コミティアから帰ってくるときだいたいは落ち込んでいることが多いのですが、これは自分の考え方がネガティブなのだろうか、と考えつつも良かったところ、改善点含めて一人反省会をするようにしています。

 

長くなってきました。

自分としてはもう一度コミティアに出ることも考える一方で、それだけが同人活動でもないとの思いを強めています。というか、今はツイッターにもあまり顔を出せていません。完全に復帰するまではもうしばらく時間がかかるものと思われます。

 

結局、同人活動で良いリアクションをいただいて、画力も向上して、自分の描きたいものが描けたとしても、それだけで人生が開けるわけではありません。もちろん、同人活動を始めたことで状況が好転したこともあります。少なくとも希死念慮にさいなまれることはなくなり、人生における自分の柱とか楽しみ、自己価値感が得られたのはありがたいことでした。

 

しかし、そこで起こったことは新たな世界での人間関係であったり、外界との作品を通じた交流であったりしました。もっと楽天的に、割り切って人間関係だのを楽しめればいいのですが、まあ悩みはつきものです。自分の今の状態や考え方、気質に因るところもあると思います。

 

描き続けたい、それは確かです。でもその先でどうするか。

 

同人活動は一人では完結しません。応援してくださる方々の存在も、作家にとっては貴重なものだと思います。見えにくい部分ではありますが。

 

一人ではなしえないことを、応援してくださる方々からのリアクションによって営むことができている。そう思います。そういった意味では私も導かれているのかもしれません。

 

なんだかとりとめの無い文章になってしまいましたが、今日はここまでにします。

水面下でオダカノの続きを描いたり設定を練ったりお絵描きしたりしています。

また、近いうちにまとまったご報告ができるよう、ぼちぼちやっていまきます。

それでは。